SDGs:Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)とは、
「2001年に策定された
ミレニアム開発目標(MDGs)
の後継として,
2015年9月の国連サミットで加盟国の全会一致で採択された
『持続可能な開発のための2030アジェンダ』
に記載された,
2030年までに持続可能で
よりよい世界を目指す国際目標です。
17のゴール・169のターゲットから構成され,
地球上の『誰一人取り残さない(leave no one behind)』
ことを誓っています。
SDGsは発展途上国のみならず,
先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり,
日本としても積極的に取り組んでいます。」
(出典:
外務省
)
私の仕事は建築設計。
上に掲げた17の目標の中で最優先課題と位置づけているのが、
【Goal 13. 気候変動に具体的対策を "Concrete measures against climate change"】です。
暮らしをとりまく環境が不安定であれば、安心して「住み続けられるまちづくり」に障害が生じます。
気候変動の原因は、人為によって大気中に放出されたCO2の急増に伴う温暖化とされています。
この気候変動の抑止に向けて、みずからが具体的対策を考えて、
少しでも17の目標に近づくようにしたい、と思うようになりました。
ただし、2030年までにこれらすべての目標を達成するために残された時間はわずかです。
問題を解決するキーワードは、「持続可能」「普遍的」です。
もともと、といっても現生人類(ホモ・サピエンス)が地上に誕生したとされる約40〜25億年前ですが、 地球の自然サイクルは、ほどよくバランスが保たれた持続可能な社会であり、 人類は永い歳月をかけて環境に適応しながら普遍的生活を営んでいました。
その自然のサイクルと環境を破壊したのが行過ぎた人為活動です。
このように考えると、持続可能な社会の実現は、世界の歴史を振り返り、歴史から学び、過去に回帰する、あるいは自然に回帰する運動ととらえることができます。
日本で暮らす人々にとって貧困は遠い国々の問題であって、無関心の人も多いかと思われます。
貧困に苦しむ人は、遠く離れた開発途上国や紛争地域に大勢います。
貧困の歴史は、先進国から見た相対的未開地が侵略者によって搾取された時代にさかのぼらないと理解しにくいかもしれません。
イギリスから広がった産業革命の時代、近代以降の戦争は、非情な人為活動の極みであって、軍需産業の拡大と戦後処理・復興の過程で貴重なエネルギーを浪費します。
エネルギーの浪費は、その代償として不毛な気候変動を引き起こし、干ばつや洪水による被害を伴い、
貧困に苦しむ人が増加するという悪循環をもたらします。
気候変動は、先進国の人々が、より豊かな暮らしを望み、工業製品の大量生産大量消費による「経済成長」を追求した因果です。
経済成長の原動力となったのは化石資源の利用です。
今も世界のどこかで内乱、内戦、あるいは国境を越えた戦争の犠牲になり、飢餓に苦しむ人々がいます。
気候変動が続くと、農地・農産物が打撃を受け、飢餓につながります。貧困と飢餓をゼロにするためには、悲惨な戦争と気候変動問題を同時に解消しなければなりません。
日本も二度にわたる世界大戦の戦中戦後の混乱期に食糧が不足して苦しんだ経験もありますし、干害や冷害によって凶作が続き、民衆が苦しんだ時代がありました。
天明の大飢饉 (1782-1788) や天保の大飢饉 (1833-1839) は決して遠い昔の出来事ではありません。
現代の豊かな先進国の人々が餓死するとは思えませんが、今後気候変動が激しさを増すと世界的に食糧の調達が滞り人類が飢餓に直面する時代が到来するかもしれません。
油断は禁物です。
飢餓に備えるために普遍的で確実な施策は、食糧事情の安定を第一として、農業に限らず林業・水産業を振興すること、と考えます。
第一次産業を重んじて、これに従事する人々の暮らしを豊かにし、就業人口を増やし、生活資源の需給の安定と自給自足を促す考えです。
「衣食住」を満足することは生活の基本です。
農林水産業は「衣食住」を豊かにすることと関係します。
着る物も食材も住まいも化石資源に頼らず、天然資源を活用して持続可能な社会を構築することです。
農林水産物の需給を調整して収穫を増やすと同時に非常用食糧・燃料を確保して災害時の安心・相互支援に役立てます。
備蓄財産は自国民にとどまらず紛争地域の難民救済に寄与します。
また、日本の農林水産業で培った技術を、貧困や飢饉で困っている人々を支援する事業を通じて、
それぞれの国や地域の持続的発展に生かせます。
普遍的な自然と共生する社会を育てて、
サーキュラーエコノミー (circular economy) とよばれる持続可能な循環型経済への転換が期待されます。
人類は長いこと火と親しんできました。脱炭素のために火を絶やすのは惜しまれます。
貧困や飢餓から人々を救うために林業の振興を期待した理由は、すまいの建材として調達可能な身近な存在であるとともに、
調理や暖房、給湯の熱源をガスや電気に頼らず、木炭や薪、有害な化学物質を含まないペレット等を活用して自然と共生する豊かな暮らしを思い描いたものです。
日頃から天然の燃料を備えておけば、災害時の頼りがいのある非常用熱源、エネルギー資源として評価されるでしょう。
何よりも、CO2を吸収する森を豊かにすれば、気候変動を緩和して人々に豊かな暮らしをもたらす希望が生まれます。
日本では、1990年代に有害な石油系化学物質を含む建材が原因で「シックハウス症候群」という健康被害が社会問題になったことがあります。
その対策として、2003 (平成15) 年に建築基準法が改正されて、有害な化学物質を含む建材の使用が規制されました。
それでも日本の建設業界では石油系資源を原料とするビニール・プラスチック系建材が根強く使われています。
石油を原料とする工業製品が多用される背景には、大量生産によって安価な製品を消費者に提供できたことが挙げられます。
戦後間もない昭和20年代の貧困から脱却するために、安価な住宅の大量供給は時代の要請でもありました。
工業規格化されたプレハブ住宅が普及したのは、このような事情があります。
時代の要請によって生産技術や効率が向上して、工業製品の増産と消費の増加に拍車がかかります。
急速な工業化は、工場からの廃液や排ガスによって土壌や水質、大気汚染を招き、健康に害をもたらす「公害」として認識されるようになります。
石油は、太古の海や湖に生息していたプランクトンなどの死骸が、何億年もの長い時間をかけて地層の重みで堆積したものと考えられています。
永い眠りから覚まされて、急激に燃やすとどういう異変が生ずるか、想像が及ばなかったことが現在進行中の悲劇です。
工業製品の大量生産・流通・消費は、モノの陳腐化と短命化を招き、やがてごみの増産に直結し、焼却炉の煙突から排出されるCO2に化学変化して、
その結果大気汚染が慢性化して気候変動という現象となって顕在化します。
プラスチック廃棄物の不完全燃焼によって大気中から猛毒のダイオキシンが日本で検出されたのは1983年でした。
1997年にCO2の削減をうたう京都議定書が採択され、1999年にはダイオキシンを規制する法律が整備されます。
これを契機に廃棄プラスチックを再利用(リサイクル)する機運が高まりますが、リサイクルを図ったとしても、再生過程でCO2が発生します。
何度リサイクルしても、その都度CO2は発生します。
最終的にはごみとして焼却処分されてCO2に化ける宿命にあるのがプラスチック製品です。
プラスチック製品がきちんと廃棄処分されないと、その一部は海洋プラスチックごみという環境汚染物質となり、餌に混ざって魚の体内に取り込まれます。
人がその魚を食べると、プラスチックの有害成分が人体に吸収されて健康被害を及ぼします。
人々に豊かで便利な暮らしを提供してきたプラスチックですが、
気候変動の問題、健康の問題を考えると、プラスチックの利用は持続可能ではありません。これは人類に限らず、あらゆる生命に共通する危機です。
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貧困家庭のこどもたちは、教育、就業の機会にも恵まれず、生活費の獲得が困難になり、富裕層との経済格差が大きくなります。
より豊かな暮らしを望み「経済成長」を追求した結果、このような不公平が生ずるのであれば、経済成長の評価方法を転換させる必要があります。
より豊かな暮らしを送る人々が貧しい人々を助ける「共生・共助」という概念に基づく社会システムへの転換が望まれます。
株価やGDPを指標とした経済評価ではなく、「満足度」「幸福度」を尺度とした福祉社会の実現です。
「幸福」の条件として、「平和」「健康」は誰もが望むところですが、そもそも、すべての人に通用する【普遍的幸福】が存在するのか、疑問があります。
禅問答のようですが「幸福とは何か」「豊かさとは何か」を考えると、時代や地域に生きる人それぞれの信仰や価値観によって答えは多様でしょう。
この先深刻化するであろう気候変動の時代を生きる人々にとって、
これまで先進国の人々が享受してきた過剰ともいえる工業製品と経済成長がもたらした「お金で買える豊かな暮らし」「お金で買える便利な社会」が、【普遍的幸福】の指標となりえるか、
私は懐疑的です。
日本は「質の高い教育をみんなに」の目標をトップレベルで達成している先進国です。
しかし、一部のマナーの悪い人たちによるプラスチックゴミの「ポイ捨て」「不法投棄」が原因となって川や海の水が汚染されてしまったらどう思われますか。
汚染された川や海を前にして、健康でハッピーになれる人はいないと思います。
「衣食足りて礼節を知る」という教えがあります。 貧困や飢餓をゼロにして誰もが平和で健康な暮らしを持続できるように、世界が共鳴できる普遍的な価値観として倫理、道徳、自然に対する畏敬の念など質の高い情操教育がゆき届き、みんなのこころが豊かになることを期待します。
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ジェンダー平等とは「男女同権」を意味します。
男女共同参画に関する国際的な指数
(ジェンダーギャップ指数[GGI])
の2024年の値において、
「日本のGGI順位は、146か国中118位。」
という報道がありました。
(出典:
内閣府男女共同参画局
)
リンク先のウェブサイトのグラフを見ると、日本は「教育」と「健康」の評価は満点に近いトップクラスですが、 「経済」と、特に「政治」の評価が低いことが読みとれます。日本の「政治」分野の評価点は、満点の約1/10(1点満点中の0.118点)で、 全体の評価を押し下げていることがわかります。 つまり、男女同権をうたう先進国でありながら「女性の政界への進出が遅れている後進国」との国際評価が日本の現状です。
世界で活躍した女性政治家に、ドイツのアンゲラ・メルケル元首相がいます。 メルケルさんは、2011年の福島原発事故に学び、当時のドイツで主流だった原発推進政策を急きょ180度転換して2011年6月に「脱原発」法案を可決させ、 退任後の2023年4月15日の歴史的「脱原発完了」へ導きました。
一方、日本では、2013年の秋頃に、小泉純一郎元首相が「総理が決断すればできる」と、
「原発ゼロ」を掲げて当時の安倍晋三総理大臣に呼びかけて世間を驚かせましたが、
安倍総理は決断をためらい問題を先送りしました。
日本政府がやらないことをメルケルさんは断行したのです。
先進国のリーダーが、気候変動に具体的対策を示さないことに抗議して、 スウェーデンの女性環境活動家のグレタ・トゥンベリさんが声をあげたことも政治を動かす力になっています。
私は女性の政治への参加を支持します。男女お互いが対等の立場で同じテーブルを囲み、 気候変動に実現可能な具体策を論じて強い意志で環境問題に取り組むリーダーを待望します。
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貧困をなくして飢餓をゼロに、そして、健康と福祉をみんなに届ける前提として、「安全な水」は不可欠です。 「安全な水」は、人類に限らず、地球上のあらゆる生命にとって貴重な資源です。
「日本人は水と安全はタダと思っている」(イザヤ・ベンダサン著『日本とユダヤ人』)といわれ、 水道の蛇口をひねれば水がタダ同然で飲めると思っていました。
その水道水からPFAS(鉱物資源を原料とする有機フッ素化合物)が検出されたことによって、人体や環境への影響が懸念されています。 水道の取水源は川です。川の主な水源は雨と地下水です。その雨と地下水には大気、土壌汚染によって虫・鳥・魚・動物・野草・農作物などの安全を脅かす物質が含まれています。
川の水はやがて海に注がれて環境汚染が広がります。 海の生物がPFASを摂取すると、化合物は分解されることなく生命体に蓄積され、ひとたび食物連鎖という循環の中に組み込まれると海・川・陸に生きる生命体の健康に影響します。 これは海洋プラスチック問題と同じ構図の環境問題です。
水道が整備される以前の生活用水は、主として井戸水(地下水)でした。
都内でも、昭和30年代までは、井戸水を使用する家庭が多かったと記憶しています。
その頃の生活排水は、現在ほどに下水道網が整備されておらず、浄化槽でろ過してから道路の側溝に放流していました。
時を前後して、工場や一般家庭で普及した界面活性剤を含んだ合成洗剤も水環境に影響を及ぼすようになります。
工場廃液とともに河川のあちらこちらで泡だった汚染水が淀むようになります。化学工業や自動車産業の発展とともに、都市部では大気汚染による「四日市ぜんそく」「光化学スモッグ」が社会問題となって汚れた雨が降り注ぎ、
農山村地域では化学肥料を散布したことにより次第に地下水脈が汚染されます。
現代において地下水は工業用水や生活用水として利用できるものの、飲用に適さない水質になり、
身近で天然の「安全な水」は望めない時代になりつつあります。
それでも汚いといわれていたドブ川がずいぶんときれいになったことも事実です。
ひとりひとりが、食器や調理用具を洗う前に古布の端切れやペーパータオルなどで油分を拭きとってから無添加洗剤をほんの少量ふくませて洗い流す
など、ちょっとした手間と費用を惜しまず、生活排水の水質改善を心がければ、
上下水道の汚染が改善されて、汚水処理場を稼動・維持させるエネルギー負荷を減らすことも可能です。
有害な化学物質を含む排水をなくせば、浄化槽や汚水処理場の汚泥は堆肥や燃料として還元され、持続可能な循環型経済に貢献します。
江戸時代の都市と農村を結ぶ下肥のリサイクルは、持続可能な社会の先例として学ぶものがあります。
その技術を戦争国の復興支援に活用すれば、安全な水とトイレが世界中に広がることも夢ではありません。
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近い将来、石炭、石油、ガスを燃料とした火力発電は、脱炭素をめざす社会の要請により全廃される見通しです。
ところで。
私は、クリーンエネルギーとして原発の利用に反対します。理由は「核のごみ」処理場が存在しないからです。
核のごみは猛毒です。毒性が消えるまで10万年かかるともいわれます。
日本政府は「原発はクリーンエネルギーだ」と主張しますが、それは電気エネルギーの生成過程において火力によるCO2を発生させないからであって、 使用済み核燃料の再利用計画が頓挫した今、原発は永遠に「クリーンエネルギー」とはいえない状況です。
原発の稼動を否定すると、クリーンエネルギーの選択肢が狭められます。 私は、100%自然エネルギー (太陽光・風力・水力) を供給する電力会社を選びます。
昨今のデータセンターの建設ラッシュが将来の電力事情を予言するように、先進国・新興国におけるデジタル技術と文化の進化・普及によって電力需要は増加する一方です。
近い将来に電力需給がひっ迫して供給に支障が出る可能性を排除できません。
環境に負荷をかけない電力エネルギーは無尽蔵ではありません。電力は有限な資源と考えるのが妥当でしょう。
このように考えると、はたして増加一方の電力需要に、原子力を除いた自然エネルギーだけで応じられるのか、不安もあります。
困ったことに、メガソーラーは、山林や休耕田を開発し、景観破壊などあらたな環境問題を投げかけています。
その上、冬期に太陽光の乏しい雪国に電気を安定供給できるのか、課題は山積みです。
風力発電も国土が狭い中で同様の問題を抱えています。
「原発に反対するのであれば、一体どうやって増大するエネルギー需要をまかなうつもりか」と永田町の大臣、霞ヶ関の官僚は口をそろえて詰め寄ります。
原発反対の声にご不満であれば「将来の電力需給の見通し」を見直し、電力需要を抑制するための手段を講ずるべきです。
自然エネルギーの供給にも限度があると危惧を抱いた私は、できる限り電力を消費しないように努めています。
外出は徒歩1時間圏内であれば電車やバスに頼らず、どこでも歩くようにしています。
遠出のときは自転車で移動します。
掃除はほうきとちりとりで。拭き掃除は、風呂の残り湯に古雑巾。残り湯はトイレ洗浄にも利用できます。
新聞や本はあかるい窓辺で。昼間は照明器具を使わずにすむように、トイレ、洗面、浴室すべてに窓を設けます。
窓上に軒ひさしがあるので雨の日でも窓を開ければ換気扇を使わず新鮮な空気に入れ替えできます。
猛暑・酷暑の日中でもエアコンはつけず、窓を開放してうちわと扇風機。暑いな、と思ったら風呂場で行水。すっきりします。
それでも暖房と調理だけは電力またはガスに頼ります。
都市部で薪ストーブを使うと近隣住民から苦情が来ます。
自家用車は所有していますが、比較的燃費の良い小型のガソリンエンジン車です。夏休みや行楽シーズンの限られた日々に使う程度です。
電気自動車に買い換える気はありません。なぜならば動力源の電気でさえ、化石資源、原子力が混在しているからです。
エコ運転をこころがけ、ガソリンの供給が絶えるまで今の車を使い続けるつもりです。
これが私の反原発ライフスタイルです。
要は、流行を追わず、あふれる情報に踊らされず、余計なモノを欲しがらない「質素な暮らし(simple life)」が私にとって「幸福度」「満足度」の指標です。
政治家は、国民の努力を卑屈に「ケチな発想だ」と思わないことも大切なことですね。
たとえば、国会を空調や照明を必要としない青空円形劇場で開催する、移動は人力車を重用する、
など政治が率先してエネルギーをクリーンにすれば、相当量の電力削減策が可能です。
政治が範を示せば、プロ野球は原点に帰って、空調・照明エネルギーを浪費するドーム球場ではなく、青空の下の天然芝グランドでプレーして観客を沸かせます。
ベースボール発祥の地アメリカでは日常的光景です。政治もスポーツもファンの支持を受けて人気は高まります。
ということで。【エネルギーをみんなに そしてクリーンに】という目標の達成には、電力需要の抑制に向けて努力することが大切だと思います。
国内の人口に占める高齢者の割合が大きくなっています。
今後、福祉や医療現場で電力需要が増すことも考えられます。
【すべての人に健康と福祉を】届けるためにも、社会的弱者に配慮した「長期エネルギー需給の見通し」の見直しが待たれるところです。
・関連記事
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村をよごしたのは誰?
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昭和生まれのSDGs
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私は、大学で建築を学び、1982年に都内の設計事務所に就職し、2003年に独立して現在に至ります。
学ぶことは、社会人になってからもたくさんありました。
設計事務所勤務時代に担当した物件は、そのほとんどが鉄筋コンクリート造のオフィスビル、マンション等の中高層建築物でした。
そのうち建築をとりまく環境に疑問が芽生え「こんなことでいいのだろうか」と思うことがあり、
独立後は木造建築物に特化して設計をお引き受けすると決めて自身の建築設計事務所を開設しました。
コンクリート造に代わって木造を選んだことには理由があります。
独立により収入は、設計事務所勤務時期に比べ激減しました。 それでも年に一軒ずつのペースで仕事を続けました。私は収入よりも自身の信条に従って仕事に没頭することに働きがいを感じました。
世界中の人々が「働きがい」を感じることは大切だと思いますが 「働きがいも経済成長も」横並びにして両立させる目標には疑問があります。 成長には限界があると感じるからです。
1970年(昭和45年)に世界中の有識者が集まって設立されたローマクラブは、1972年(昭和47年)に
「成長の限界」と題した研究報告書を発表し、人類の未来について、「このまま人口増加や環境汚染などの傾向が続けば、。
資源の枯渇や環境の悪化により、
100年以内に地球上の成長が限界に達する。」と警告しました。
この「成長の限界」では、「地球と資源の有限性」や「その社会経済的影響」を明らかにすると同時に、
将来の世界の状況について起こり得る複数のシナリオをまとめています。
再生する速度以上のペースで地球上の資源を人間が消費し続けると仮定したシナリオでは、
世界経済の崩壊と急激な人口減少が2030年(平成42年)までに発生する可能性があると推定し、
当時の世界各国に衝撃を与えました。
(出典:
環境省
)
■
今(2025年)から50年以上前の出来事でした。
ローマクラブは、「環境汚染・環境の悪化」と「成長の限界」を関連付けていますが、「気候変動」と「環境汚染・環境の悪化」の相関は言及していません。
当時、気候変動による社会経済的影響は、有識者の人知の及ばぬ想定外の未来だったと思われます。
「異常気象」と「成長の限界」を関連付ける研究や、確かな科学的根拠が乏しかったことをうかがわせます。
昭和40年代、日本の過密な都市部で、夜間の気温が25度以上になると「熱帯夜」という寝苦しい夜に悩まされた記憶がありますが、 ほとんどの人が、夜間の気温が30度以上になる今日の異常な「超熱帯夜」を予測できなかった事実と共通するものです。
「成長の限界」から学ぶことがあるとすれば、
「再生する速度以上のペースで地球上の資源を人間が消費し続けると、想定外の長期的な気候変動によって100年以内に地球上の成長が限界に達する。」
という警告を教訓として生かすことでしょう。
限界を超えると、それ以上の成長は見込めず破綻を招くという教訓です。
日本は1990年代のバブル経済崩壊によって「失われた10年」「失われた20年」という長くて暗いトンネル生活を経験しました。
働きがいも経済成長も横並びにして両立させようと望んでいた人がいたとしたら、その人は大切なものをなくしたことに気付くと思います。
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経済成長と脱炭素社会の両立のために求められていることは何でしょうか。
コンクリート建造物は一般的に耐火性、耐震性、耐久性に優れており、社会資本を整備する上で重要です。
一方、脱炭素を考えると、コンクリートは負のイメージがつきまといます。
コンクリートが製造過程において大量のCO2を放出するため、
建設土木業が環境に負荷を与える産業という印象を与えたのは1990年代後半からです。
この事実は、長いこと建設土木技術者の悩みの種でした。
日本の建設土木技術は優秀です。
とりわけ、スーパーゼネコンと呼ばれる総合建設業の技術は世界に誇れるものがあります。
そのスーパーゼネコンが、続々と技術革新の基礎を確立して「低炭素コンクリート」を研究・開発して、実用化の見通しがたちました。
耐火性に劣るといわれる木造建築物も、不燃材料と組み合わせることによって耐火建築物として認められるまでに技術革新が進んでいます。
林業の現場では植林から間伐、伐採から始まり、
木材の生産・加工・供給を通じて地域社会に利益を還元しつつ、
地域に根ざした文化として、住宅に限らず役場や学校、図書館などすべてを木造としたインフラ整備が進められています。
私は、こうしたまちづくり、村づくりを「身の丈にあった循環型社会」と呼んでいます。
この考えは、UNEPとOECDの「
グリーン経済とグリーン成長
」(環境省 HP) の着想に由来するものです。
具体的には、日本の気候風土に見合った農林水産業の復興です。
戦後、地方で暮らしていた人々は、高度経済成長時代とともに都市部に吸収され、働き手が減った地場産業は次第に衰退しました。
日本のお米はおいしい、と海外から一定の評価を得ています。農薬を使わない有機栽培の振興は、成長の余地があると思います。
農家や研究者は、気候変動の時代に適応できる農作物の種の開発にも取り組んでいます。明るい未来の予兆を感じます。
農業と林業と漁業は持続可能な循環型地域を形成します。山と海は「里山」「里海」の互恵関係にあり、
山と海を川で結ぶ周辺地域にとって農林水産業は欠かせない基幹産業となるでしょう。
大都市の繁栄の陰であまり知られていないことですが、地方でも産業と技術の革新の基礎を模索しています。
経済成長と脱炭素社会の両立を求めて「地産地消」「循環型社会」を復興させる、この地道な努力も忘れないでほしいと願います。
失われた日本の農山村の自然環境を復興できれば、あらたな「観光資源」となって地域の経済を活性化させる可能性を秘めています。
経済成長と脱炭素社会の両立は難しいことではないでしょう。
・関連記事
[ "
コンクリート・セメントで脱炭素社会を築く!?技術革新で資源もCO2も循環させる
" ] (経済産業省HP)
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SDGsにおける【国際貧困ライン】は、1日の生活費が2.15ドル未満で暮らす【極度の貧困】と定義しています。
「極度の貧困」に苦しむ人は、「後進国」「開発途上国」に集中しているといわれ、
世界で推定3億3,300万人の子ども、つまり6人に1人の子どもが極度の貧困の中で暮らしています。
(
日本unicef
)
サハラ以南のアフリカで、極度の貧困の中で暮らす子どもの割合が最も高く、その他東南アジア、南米北部にも大勢います。
これらの地域は、15世紀半ばから17世紀半ばまでの大航海時代に、「奴隷貿易」が盛んに行なわれた地域と重なります。
先住民を人間と認めず「奴隷」として物品のように扱い、先進国間で独占的に売買する時代がありました。
地球規模の人種差別、不平等の始まりでした。
過去の歴史において、豊かであると自任して途上国より優越していると考えてきた先進諸国は、
競うように「後進国」「途上国」を侵略、植民地化しました。
自国の経済成長と豊かな暮らしを潤すために、そこで暮らす原住民を安い労働力として搾取することによって経済的発展を遂げたのです。
気候変動の具体的対策について、直近の世界会議が途上国の反発のために、議論がまとまらなかった理由がおわかりでしょう。
1日の生活費が2.15ドルの人たちと先進国の人々との経済格差は断崖絶壁のようです。
世界のすべての国と地域は「共に進む国」であるとの認識に目覚め、 行過ぎた差別と偏見は癒えることのない禍根を残すとの自省に立ち、 「成長は無限に続く」という先進国の価値観と幻想を「後進国」「途上国」と呼んだ国々に押し付けてることなく、 人や国の不平等をなくすために、尽力することを願っています。
・関連記事:
[
COP29 途上国の気候変動対策支援の資金で合意 途上国非難の声
] (NHK)
「住み続けられるまち」に求められる要件は、人によってさまざまです。 都会、海辺、山間地域。 「まち」に限らず「むら」「集落」にとっても住み続けられる地域の実現を考える必要があります。 SDGsのゴール11は、"Creating a town where you can continue to live" であり、"village" に住む人々が除外されています。
コロナパンデミックがきっかけになって「テレワーク」を導入する企業が現れ、移住を考える人が増えました。
「こんなところに住みたい」と魅力を感じる人は、その人なりの理由があるでしょう。
また、魅力を感じる土地があっても、さまざまな事情で今住んでいる場所から離れることができない人もいるでしょう。
これは、まちに住む人、村に住む人に共通する現象です。
そのような思惑もあり、勝手ながらゴール11は「住み続けられる地域 "community" づくりを」と読み替えて考えます。
「共生・共助」という思想があります。
文字通り「共に生き、共に助け合う」ことによって持続可能な地域づくりを実現することです。
富山、石川県境に近い岐阜県の山奥に「白川郷」という集落があります。世界遺産に登録されているのでご存知の方も多いでしょう。
白川郷を訪れる観光客は、かやぶき屋根の集落に日本の原風景を見ることができます。
かやぶき屋根は、10年から20年ごとに葺き替えられますが、この葺き替え作業に集落の人たちが総出で協力します。
葺き替え作業は秋の晴天を選んで、まる1日かけて手際よく行なわれます。翌年は集落内の別の家の屋根を葺き替えます。
このようにして10年から20年かけて集落内のかやぶき屋根の葺き替え作業が一巡すると、ふたたび最初の家の傷んだ屋根の修繕や葺き替え作業が行なわれ、
毎年集落内の屋根が改修・維持されて現在に至ります。
この風習は「結(ゆい)」といって「相互扶助」「共生と共助」の精神を表す言葉となって受け継がれてきたものです。
現代社会は、物的に豊かになりましたが、都市部における地域の絆が希薄になってしまった感があります。
大都市への流入人口の増加によって地方の過疎化が進み、地域住民の「相互扶助」「共生と共助」の精神が忘れられつつあります。
「経済格差」「地方格差」などさまざまな差別がもたらした不平等な社会です。
「地方創生」が叫ばれて久しいですが、失われた「地縁社会」の再建は容易ではありません。
【住み続けられる地域づくりを】推進するには、 地域の歴史や風土を理解し合い、 持続可能な、循環型社会のモデルとして、 未来へ向けて「ずっと住み続けていたい」と誰もが共感できる地場産業の振興と産業を支える人たちを迎える魅力の発信が欠かせないと考えます。
・関連記事
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自然との共生
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消える共生と共助
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地産地消
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「つくる」のは「生産者」、「つかう」のは「消費者」に置き換えて考えます。ここでは「つくる責任」「つかう責任」について「生産者の責任」「消費者の責任」を明確にします。
これまで述べたことを要約すると「地球環境に配慮した建材生産者の責任」「地球環境に配慮した建材をえらぶ消費者の責任」について、 建築家である私の考えは、 「建設現場では、化石資源由来の建材は採用しない」 という意志を表明することになります。
食の安全を考えれば「健康に配慮した野菜を選ぶ消費者は、農薬を使った農産物を買わない、食べない」と宣言するでしょう。至極当たり前の行動です。
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気候変動に対する具体的対策が「建設現場では、化石資源由来の建材は採用しない」となると、
コンクリートも、鉄筋も、金属屋根も、アルミ・樹脂サッシも、ガラスも使えません。
これは、建設業界に「自縄自縛」を迫るものであって、
建設業で生計を立てる生産者と消費者である多くの人々は仕事ができない、という厳しい局面に立たされます。
私の論考は、建設業界をはじめとするあらゆる産業界から猛反発を浴びて私は孤立します。私は逃げることなく、それは当然のことと受け止めます。
それでも立ち止まることなく、気候変動という複雑な環境問題の具体的対策をめぐって
「では、どうしたらいいのか」の問いに答えが見えるまで考え続けます。
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海洋プラスチック問題が深刻です。
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2016年時点で、ペットボトルやビニール袋などのプラスチックごみが年間900万〜1400万トンも海に流れ出ており、 毎年4億トンものプラスチックごみが生じているといいます。 人類がこのままのペースでプラスチック製品を作り、使い、捨て続けると、 海に流れ出るプラスチックごみは、2040年には2016年の約3倍、2300万〜3700万トンへ増えると推定されています。
( 出典:
日本unicef )
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海洋ごみの7〜8割は、陸上で廃棄されたものが河川を通じて流れ出たという推計もあります。 ペットボトルやビニール袋に限らず、あらゆるプラスチック製品がごみの対象であり、 そのうちの一定割合が、海洋ブラスチックごみとなって海を汚染させ、海陸を住処とする生命の食物連鎖に悪影響を及ぼしています。
建築界で想定されるプラスチック系廃棄材は、建設現場で使われる養生シートや防水材料、塗料、内装材、ガラスを模したアクリル・ポリカーボネート板、照明器具、コンセント・スイッチプレート、給排水管、など多岐にわたります。
養生材としてよく使われるブルーシートは劣化すると破れやすく、飛散するおそれがあります。
また、塗料も劣化すると、剥がれる、粉塵になるなど飛散するおそれがあります。
気候変動に具体的な対策として、海洋汚染を進行させないためにも、自身が手がける設計事案において、 プラスチック系建材はもとより、鉄骨、鉄筋、コンクリートなど鉱物由来建材の採用をできる限り控えるよう、自主規制を続ける理由です。
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都市部における「再開発」が「防災都市づくり」の大義を掲げて際限なく続いています。
そのたびに、既存のインフラ、建造物が破壊され、
地質年代では100万年前の氷河期に相当するかもしれない地下10メートルを超える地層が荒らされ、
大量の産業廃棄物を撒き散らし、
環境に負荷を与え続けながら、
「大量破壊・大量生産・大量消費」型の旧態依然の経済発展による「豊かで便利な暮らし」を求める人々が後を絶ちません。
こうした成長の限界をわきまえない経済成長システムは「持続可能な発展」を阻害するものだと私は強く感じます。
今こそ既存の社会システムから大胆に脱却するときではないでしょうか。
明るい未来にむけて、時代の潮流を変えるのは今がラストチャンスだと多くの科学者が警告しています。
質の高い教育を享受してきた先進国の人々は、
極度の貧困と飢餓をゼロにする、
質の高い教育と安全な水とトイレをみんなに届ける、
海と陸の豊かさを守る・・・。これらの目標に向けて、民族や宗派を超えてみんなで団結する最後の機会だと国連サミットも訴えています。
じっと成り行きを傍観するわけには行きません。
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2025年1月現在。ウクライナやパレスチナなど、侵攻を受ける側の「平和」は実現していません。 平和を回復させるための公正な手段すら保証されていない状況です。
2030年までにSDGs のすべての目標を達成させる上で、【16. 平和と公正をすべてに人に】は、もっとも困難な課題かもしれません。
人類が誕生して以来、 部族、集落、村、都市、帝国、宗教、民族、領土、人権をめぐって争いが絶えなかった歴史を振り返れば 【平和と公正をすべての人に】は理想論で終わってしまうのかもしれません。
日本も近代以降、中国(旧満州国)への侵略、朝鮮半島やフィリピンの植民地化、真珠湾攻撃による宣戦布告等、苦い過去を負っています。
戦後、平和外交に努力した結果、国交正常化や和解を通じて負の歴史が清算されたと思いがちですが、
侵略を受けた側の本音は「ゆるします。しかし忘れません。」の一言に凝縮されます。
広島の原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。
「核のない世界」を願ってきた市民の希望は、「理想論」のひとことによって実現が見通せない状況にあります。
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2025年1月。
世界の終末時計は「残り89秒」となりました。
( 出典: 科学技術振興機構 )
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以上の16に及ぶ目標を達成するためには、さまざまな困難が待ち受けています。 これらすべての目標を2030年までに達成するために残された時間はわずかです。
現生人類であるホモ・サピエンスが誕生してから40万年の歳月が過ぎたと起算して、Goalまで残された5年を計ると、SDGsの終末時計は「残り5.4秒」となりました。
迅速かつ断固とした行動をとれば、未来はまだ変えることができると認識して、現在進行中の地球規模の危機からに脱出するために世界中の人々が一丸となって、 堅固なパートナーシップで目標を達成するときです。
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2025年 2月18日