2013年8月、私は愛媛県松山に住む大学時代の旧友を訪ねて旅に出た。
友人には、尾道から自転車で今治に渡り、そこから鉄道に乗り換え松山に向かう旅程を
一週間前に伝えてあった。
友人はびっくりして「暑いから無茶するな」と私の無謀を制止したが、かねてからの計画旅だったため強行した。
確かに瀬戸内海は暑かった。初めて体験した酷暑だった。
私が瀬戸内海の島々を自転車でめぐった8月12日は、高知県四万十市で41.0度を記録した日だった。
松山で友人の出迎えを受けた私は、長旅の疲れを癒すため、念願の道後温泉本館に向かった。
この建物は、道後温泉の中心にある客室付共同浴場で築100年を超す木造三階建ての堂々たる入母屋屋根姿の重要文化財指定建造物である。
特に2階にある畳敷き休憩室は天井が高く、窓が全開の吹きさらし大空間で、空気がゆるやかに流れていて涼しい。
三日間炎天下にさらした肌は真っ赤に焼けており、
湯船につま先をいれたとたんに飛び上がってしまい、残念ながら名湯に浸かれず洗い場の冷や水を掛け流しただけだった。
さっぱりしたところで2階の畳の上で涼みながら欄干越しに往来を眺めていると、
夏目漱石作「坊ちゃん」気分になれた。
瀬戸内の旅の目的は歴史的建造物を巡ることでもあった。
湯上り後に友人に案内された "漁師直営の掘っ立て小屋のようなワイルドな店” で深夜まで語りあかし、 そのまま未明出港のフェリーで柳井に渡り、 山陽本線広島行きに乗り換え、次の目的地である岩国に向かった。
目当ては錦帯橋。橋の下から眺める風景はどんなだろうと興味を覚え、 河原にサンダルを脱ぎ捨てて裸足で川を渡った。 焼けた素肌に清流が気持ちよかった。
そしてふたたび鉄道とフェリーを乗り継ぎ宮島に渡り、
念願の世界遺産・厳島神社に参拝したところでサイレンがなった。
あぁ、そうか、今日は8月15日だった。
盆休の人ごみを避けて、すぐにわきの木陰に身を寄せて静かに祈った。
その夜は宮島の鎮守の森に守られて静かに過ごした。
ペンライトのあかりの下でクロッキー帳に描きかけた道中のスケッチに想い出の色を重ねた。
テントには入らず、砂浜で朝凪のころまで空を仰いでいた。
思えば、私が瀬戸内周遊の旅を思いたったきっかけは東日本大震災。
あの日、3.11は私にとって生まれて初めて経験する「国難」のはじまりだった。
私は、戦争を知らずに育ってきた。
平和で暮らせることほど幸福なことはない。
このことに気づかないことほど不幸なことはない。
そのことに初めて気づいたのが2011年という年だった。
平和な国は、それだけで幸福な国である。 そのことを確かめたくて旅に出たのであった。
2013年の終戦記念日は、私にとって忘れられない日になった。
2013年 8月15日