平成25(2013)年4月にはじめてやまのべの道をあるいて以来、
同じ年の11月、翌平成26(2014)年の4月と10月、通算4度この古道をたずねた。。
このページでは、2014年10月に旅をしたときの絵日記から抜粋した回想録をご紹介します。
毎度ここは敬虔な気持ちになる。
ここの陵墓の大きさは当時の人々の信仰の大きさのあらわれでは、と思うところがある。
宮内庁により管理されており(どこの古墳もそうだが)、立ち入り禁止のため陵の杜は原生林の様相を呈す。
それがまた神秘を感じさせるのだが。
今回はぐるりと一周はしないで本道からはずれることなくごく一部を接線的に歩いた。
風景はすばらしい。神は死してもこの風景を絶えず視することによって民を見守っていたのだろうか、な。
スケッチにあたっては本道沿いの草むらに立ち入ってベストアングルを探した末、描いた。
描いているときは夢中であった。描き終えて本道に戻って、その先に進んでふと緑色の種子がびっしりと貼りついている。
容易にはとれない。手で払った程度でははがれない。しぶとく貼りついている。
仕方なくそのまま歩いた。丘を下ったところの休憩所で根気よくひとつひとつはがしたが、靴にもびっしりと貼りついており、 すべて除去するのは結構ホネおり作業だった。
ヤマトタケルの墓。
ここも厳かな気持ちになる。
ここも今回は正面には回らず、本道から部分的に拝むことにする。
なんといっても、一周するには結構長くて時間がかかる。
天皇陵は「丘」であり、原生林の山のようでもある。ここだけは原始のまま。
周辺はのどかな農地風景が広がる。
いいな、と思う。
桧原神社に着いたところで霧雨となる。ランチは雨宿りとなった。ちょうどいい。
にゅうめんセットを注文。飲み物は持参の焼酎。店の茶碗でちびちび水割り。ゆったりと過ごせてよかった。
客は僕ひとり。別に急ぐこともないし。待っても雨はあがらないので霧雨が残る中、 桧原神社をあとにする。
今回、ここだけはゆっくりと過ごしたい、と思っていたところが狭井川のほとりの草原。
昨秋見つけたところ。昨秋みつけた無垢な風景。
再会を期待して臨んだところ、異変に気づく。草原だったところが田畑の開墾よろしくトラクターで耕されたあとだった。
なーんじゃ、これは!
湿原のような自然が残されている、と思ったところは実は休耕地だったのか・・・。
・・・なるほど、そうだよなぁ。昨秋ここで描いたスケッチに「狭井川のあしの原」とタイトルをつけたのは大きなマチガイだった・・・。
狭井川のちいさな橋を渡り、しばらく登りになる。
道脇を流れる水路に架かる鉄橋があり、その上に脇道が続いている。
もしかしたら「狭井川のあしの原」的イメージに出会えるかも、と淡い期待を抱いて横道にそれる。
あとで知ったことだが、このあたりから大神神社の境内になる。左手の杜は「大美和の杜」と呼ばれ頂上には展望台となっており、 遠く二上山、中景に大和三山が見てとれる絶景の場所。振り返ればご神体の三輪山の秀麗な姿。山頂のわずかな平地にひっそりと「恋人の聖地」とある。
万葉のいにしえからどれだけの恋が見守られたことか・・・。
ここからは久延彦神社、狭井神社、どちらへも下りて行ける。 過去四度、往路復路歩いたが、この道は初めてであった。いい道に誘われた、と御神体に一礼して杜をあとにする。
狭井神社拝殿は修繕工事中であった。素屋根と仮囲いですっぽりと覆われて本来の姿はかくれたまま。
それでも境内には一杵島姫命をまつるちいさな社殿があり、参道脇の池に浮かぶようで美しい。
すでに大神神社、三輪明神の聖域にあり、境内には多くの神社が散在している。すべてにお参りとはいかなかったが
神聖なエリアを歩いていると心が浄められる気がする。
ここは国のはじまりの地だ。
大神神社拝殿に参って今日の往路はひととおり終えた。
四時少し前、このまま宿に直行してもいいけれど名残惜しい。
心の原風景「狭井川のほとり」が失われていた寂しさもあり、もうすこし散策しよう、ということになり
桧原神社まで戻り、そこから南下して宿に迂回することにした。
道を戻るとはいっても、「往」と「復」では視界も変わり違う景色に出会う。それぞれの趣がある。
そしてこの視界は昨秋に続いての一年ぶり二度目の経験だ。
昨年11/10以来。あの日は玉津島明神(産湯井戸)を訪ね海石榴市を経てここに至ったのだった。
かつて影姫が歩いたかもしれないやまのべの道・・・。姫の失意はどんなだっただろう・・・。
桧原神社の参道を下りはじめると遠く正面に二上山のシルエットが浮かぶ。信仰の山だ。
「いい」と思ったらさっとクロッキー帳をひらいて描きはじめる。今回の旅でとりいれた手法。ウェストポーチはちょうどよいペンシルケースとなった。
この参道は車がやっとすれ違える程度の広さ(実際駐車場に至るので車は通る)はあるが未舗装の山道。なだらかな下り。 右手に沼地があり、それるとヤマトタケルの石碑を見て周遊するコースとなっているので、そちらを選ぶ。
ほとんど人が歩かないと思われ、道は適度に「荒れて」いる。
沼のほとりの道にひっそりと天智天皇、倭建命の歌碑が埋もれる。
沼の水面に映る三輪山が美しい。一人で歩くにはとてもいい道だと思った。
ここも過去4度を通じて初めて通るコース。まだまだ知らないところがたくさんある。
また訪ねてくる日があるのかな・・・。
柿の実がたわわな林を抜け農村地帯に出る。
黄一色の実りの田んぼが広がる風景。空はすでに夕方の色に染まりはじめる。
くねくねした道を進むほどに道幅は狭くなり、その先は田んぼのあぜ道に接続され、
しばし線路と並行して鉄道敷きの保守通路みたいな草分け道を三輪駅方面に向かう。
線路は単線だし、すぐ反対側のあぜ道に渡れそうなものだが踏切はないし、
「線路内立ち入り禁止」の縦看板が必ずあって、そのまま進む。
このまま進んでいいのかな、と心細くなって近くにいた農夫に駅への道を尋ねるが、
そのまま線路沿いを歩けということだった。
のどかなところだ、実に。
この間、線路を通過したのは二両編成一本のみ。ホントにのどか。この風景を絵にしたい、と思ったが こんなところにポツンと立って描くのもちょっと気おくれして、そそくさと宿に急ぐことにした。
三輪駅からほどなく歩いた歴史的建物(木造民家)の並ぶ街路にたたずむ、
築80年の(古)民家を改装して民宿とした。
僕と同世代の夫婦が経営。来月11月で開業二周年だそう。
四畳半程度の広さの個室が4部屋。夕食は近くの居酒屋を紹介してもらう。
夕食前にフロ。これがヒノキの浴槽、壁、天井の清潔なフロ。
一番ブロであった。
館内はどこもとてもていねいな造りで、調度・建具・うつわなど、どれも素朴で
主人の人柄がうかがえる。
この日はいずれもひとり客で満室であった。
居酒屋「鳥敏」から21:30ころ帰館。消灯は22:00ころであった。
5:30ころ
目覚め。格子窓から空を見上げると夜明け前。
前夜、主人に散歩は6時半ころから、と言われていたので
しばらくフトンの中で過ごす。
6:30
散歩に出かける。朝の冷気が気持ちよい。
宿の斜向かいにある築300年超といわれる民家を「鑑賞」。
大鳥居の方角に歩いていたところ、上の大神神社に対する「下」の大神神社があることを知る。
境内で参拝。
大鳥居は、朝陽を浴びて偉容が感動的。堂々とそびえ立つ。すかさずスケッチ。
7:00ころ
昨日彷徨した線路に出る。朝陽を受けて稲穂が一面黄金色にかがやく。すかさずスケッチ。
7:30
朝食
奈良 宇陀産の「ひとめぼれ」。美味。青菜のごま和え、きんぴら、焼鮭、卵焼き、香の物、味噌汁・・・
どれもおいしい。4人の見知らぬ客が卓を囲んで家族的雰囲気が自然に生まれる。
8:30ころ
お勘定を済ませCheck Out。玄関脇のベンチに座り記念写真を撮ってもらう。
今日のルートは、二の鳥居をくぐり参道に上り拝殿へ。(その前に「夫婦岩」)
そこからふたたびやまのべの道を櫻井に向かう。
快晴。
2014年 10月