2013年7月27日。
私は初めて見る野馬追を待ち遠しくしていました。
私にとって相馬は深い思い出の地。
私が独立して現在の建築設計事務所を主宰しはじめた頃から、
東京事務所のアネックスとして、
ときどき訪れては、
そこで「古民家再生」の構想を練った町でもあります。
そのアネックスは、相馬中村神社の近くの街道に面したところにあり、
毎年夏の野馬追いの日は、朝から約400騎の騎馬武者が厳かにアネックスの前を「出陣」してゆきます。
その姿は、まさしく国の重要無形民俗文化財に指定されるにふさわしい凛々しい姿そのもの。
福島第1原発事故の影響で、2011年7月の開催が危ぶまれた野馬追いでしたが、規模を縮小して行なわれたそうです。
震災に負けない、千年あまり続いた伝統の灯を絶やしたくない、という被災地の心意気を感じました。
その出陣を見送ったあと、私は南相馬で開かれるもうひとつの野馬追い会場に向かいます。
相馬駅からJR常磐線で約20分。会場は原ノ町駅から歩いて行きます。
駅には知人の高塚昌利さんが迎えにくることになっていましたが、
改札を出たところで私を待ち受けていたのは盛装した騎馬武者たち。
目を瞠ったのはその着こなしのセンスのよさ。
伝統を今日に伝える粋な姿に野馬追いの明るい未来を感じます。
高塚さんは、相馬にある洋裁店の長女しづさんとは高校時代の同級生で陶芸部に所属した仲だそう。
そしてしづさんのご主人、志賀敏広さんは陶芸家であり浪江町のご出身。
原発事故でふるさとをなくしました。
高塚さんは震災時は浪江町にある総合病院で事務長を務めておられました。3.11直後の病院の混乱についてNHKの取材に答えたそうです。
「浪江町の西病院には津波に巻き込まれ怪我をした人たちが運び込まれてきました。
真っ黒になって泥だらけで運ばれてきました。あの日は相当寒かったので、患者さんが「寒い寒い」って話していました。
その後、原発が爆発したという情報が届き、急いで患者さんを安全な場所に避難させました・・・」
福島第1原発をめぐって地元浪江町の心境はとても複雑です。
「あかるい未来」を信じて地元に誘致し、町は繁栄してきました。
たった一度の大事故で、それまで共栄共存の信頼関係にあった電力会社と地元民は原発をめぐって以後対立します。
被災地を訪ね歩くと明るい話題もあれば、黙り込んで沈んでしまうほど重たい話を聞かされ、返す言葉に詰ることもたびたび。
復興の道のりは険しい、とあらためて感じます。