建築家として独立した年の2003年11月。
友人のアメリカ人尺八演奏家のBruce Huebner に誘われて福島県川内村に陶芸家を訪ねた。
その陶芸家は東京の大学を卒業後、京都で腕を磨き1991年に川内村に窯を開き現在にいたるという。
私が工房を訪ねた時は「窯焚き」といって4昼夜連続で作品を焼いている最中だった。この日、陶芸家と出会ったことがその後の私の建築観におおきな影響をあたえる。
私は東京生まれの川崎育ち。父の実家は東京赤坂。母の実家は東京雪谷。 いわゆる「いなか」という居場所をもたなかった。 そんな私にとって中学二年の夏、ラジオの深夜放送で流れた吉田拓郎「なつやすみ」は、いつの日か田舎へ帰りたい、という望郷の念にも似た慕情を都会育ちの中学生に植えつけた。
川内村で出会った陶芸家は、志賀敏広(しが としひろ)さんという。
志賀さんは福島県浪江の出身で、京都から川内村に移住した当初、
村内にある茅葺きの家に住んでいたという。
その茅葺きの家には2年ほど前まで住んでいたが今は空き家となっていて、
もし見学したいのなら大家さんに頼んでみよう、という話になった。
話はトントンと進んで、気に入ったら私の好きなときにその茅葺きの家に泊まってもいいよ、
という夢のような話になった。2004年の4月のことである。
私の生活がおおきく変わった。
その頃私は「古民家再生」、今で言うところの「サステナブル建築」という概念に興味があった。
さっそく志賀さんを通じて大家さんに「ときどき田舎暮らし」をしたいのでぜひ使わせてほしい、と願い出た。そして田舎暮らしの体験を自身のホームページで紹介した。茅葺きの家を拠点として、おおぜいの村民とも知りあえた。農林業をいとなむ人たちとも知りあえた。
こうした体験はその後の私の家づくり、ものづくりに計り知れない影響をあたえた。
その頃からもうすぐ18年が経とうとしている。
田舎暮らしを過ごした茅葺きの家も、私の里親だった志賀さんも、今はいない。
現在私は、SDGs ( Sustainable Development Goals = 持続可能な開発目標 ) に取り組んでいる。
どういうことかというと、
・持続可能な環境
・持続可能な建築
・持続可能な地球、国、地域、都市、村の開発
とは一体どういうものか、自分なりに答えを見つける作業である。
私は、茅葺きの家と志賀敏広さんの生き方から学んださまざまなことを種とし、肥しとして、
やがておおきな花を咲かせたいと、現在思考中である。
建築と私の履歴 2003-2021年