1957年 東京生まれ
1982年 多摩美術大学美術学部建築科卒業
1982年〜 都内の設計事務所勤務
1990年〜 環境問題を意識しはじめる
勤務のかたわら、
社寺建築や民家をたずねて各地をまわる
1995年 都内の新築木造住宅の設計を手がける
2003年 坂井忠平一級建築士事務所開設
2003年〜 木造建築物を中心に設計業務をおこなう
2011年3月〜
東日本大震災を体験して「脱原発」を意識する。
2020年1月〜
コロナのパンデミックを受けて
環境問題を問い直す。
現在「電力に頼らない暮らし」を模索中。
1980年代のバブル経済の時代を経て見たものは天然、化石、鉱物を問わず資源の過剰な消費は環境破壊を招くという現実でした。
当時の建設現場で「使い捨て」られるコンクリート用型枠には多くの南洋材が用いられており、国内需要の増加がラワンなどの乱伐を加速させ、海外の熱帯雨林環境に影響を及ぼすことを知ります。
都市部では「再開発」のもとスクラップアンドビルドに拍車がかかり化石資源の獲得をめぐって世界が競う20世紀末となりました。
長い歴史の眠りを破られて荒らされた油田や鉱脈の深層にわたる傷が癒えるまでにはそれを生成した数万年相当の長い時間がかかるのではないかと危惧したものです。
地球にこれ以上深い傷を負わせたくない・・・。
環境にあたえる負荷の小さい建物づくりをめざして2003年に設計事務所を開設しました。
木造住宅を仕事の中心に据えた理由です。
地下資源の過剰な利活用を減らし、廃棄された後も元の自然サイクルに還元される循環型資源を用いて環境・防災に配慮した快適な家づくりに取り組んでいます。
木造建築は構造体に木材を使用しているため一般的に「エコロジー建物」といわれますが林道整備などの資源発掘段階でCO2排出と絡んでいます。
木造といっても基礎は鉄筋コンクリート造とするのが一般的で屋根材や開口部、内外装材、断熱材、設備機器など
建築の多くの場面で化石・鉱物資源系の建材・製品が多用されているのが実情です。
私は日常的に石油やガス、電気を使い地下資源の恩恵を享受しつつこの先も環境に負荷をかけながら生活を続けるでしょう。後ろめたさと共に自身のかけ声に矛盾も感じています。
産業革命が及ぶ以前、長いこと日本の家は農山村を中心として木と土と草を素材にしてつくられていました。
里山から伐り出された木で小屋を組み、竹を編んでこしらえた下地に藁すさと共に捏ねた土を塗って壁とし、沼や田で刈り取ったヨシやススキで葺いて屋根とした家です。
先人たちが知恵と工夫を重ねて地域の気候風土に適応させた建築文化は私のめざす良きモデルでした。
「家のつくりは夏を旨とすべし」といわれますが、厳冬期の自然と共生した暮らしには想像を絶する厳しいものがあったと思われます。
時代の流れとともに里山を拠点とした文化と循環型社会は地方から消えていきました。
私は失われた時代の環境と文化を未来に継承させることを試みています。
気候変動に関する国際的枠組み(パリ協定)において
日本はCO2の排出を2030年に2013年比26パーセント削減する目標を掲げて省エネ策を推進しています。
震災後の2013年は国内全発電量のうち原発の占める割合が1パーセントでした。国の施策は2030年にこれを20パーセント程度まで引き上げる苦渋の選択です。
やがて迎える2030年頃。
産業革命以来の地球平均気温の上昇を1.5℃に抑える国際ビジョンのもと、さらなる地球温暖化対策として日本は2050年にCO2排出を「実質ゼロ」とする目標を掲げています。
現在、私は2030年の先を見据えて、 核のごみを排出しない脱炭素社会への転換を模索しています。