Central Park West

New York の Central Park

映画のタイトルやシーンに、
  歌の題名や歌詞に、
   ときに華やかに、
   ときにせつなく、
    出会い、
      別れ・・・

 私は何度、この公園を訪れることを夢見てきただろう。 この公園から望む都市風景はとても美しいものがある。
 南を向けば、プラザホテル。
 西を向けば、ダコタ・ハウスをはじめとする高級アパート群。
 東を向けば、グッゲンハイム美術館や五番街沿いの高級アパート群。

 建築デザイナーであれば、一度はセントラルパークを見下ろす立地にどんな建物を提案しようか、 と舞い込むはずはないクライアントからのオファーを夢想するのではないだろうか。

洗練された都市計画

 公園を訪れて誰もが感嘆するのは、都会の "central" にある公園としてのその広さ、 そして豊かな自然と錯覚させるその巧みな景観設計だろう。

 私はロンドンもパリも訪れたことがない。 だから「ハイドバーク」も「ブローニュの森」も歩いたことがない。 だからニューヨークのセントラルパークが世界一の都市計画公園などと不遜な断言はしない。

 ニューヨーク、ロンドン、パリ、東京、それぞれの国・地域に、 それぞれの歴史と自然によって育まれてきた「中央公園」がある。
 それら地域それぞれの「中央公園」が市民に愛され、 よその地域から訪れた旅行者にも愛されるなら、 それはきっとかけがえのない公共の財産となる。

持続的発展型社会と都市公園のあり方

 国内に目を向けよう。
 いやしくも都市公園がホームレスのたまり場になる、 として市民や旅行者が貧しい人々を非難し、 排除するようなことがあってはならない。
 2008年12月31日から翌年1月5日まで日比谷公園に開設された 「 年越し派遣村」の光景が忘れられない。あのときは、 リーマン・ショックの影響により「派遣切り」にあった人たちに 民間の有志らがさしのべた暖かい支援行動だった。

 都市計画法ならびに市街地再開発法を司る大臣、ならびに都道府県知事に言いたい。
 公園とは貧富の差別なく、すべての民に平等に開かれた公(おおやけ)の園(その)である。

 市街地再開発事業の特典・恩恵を受け、「公開空地」の設置を義務付けられたすべての施行者に言いたい。
 「公開空地」とは貧富の差別なく、 すべての民に平等に開かれた公(おおやけ)の空地(くうち)である。

 その認識があって、はじめてSDGが目標とする、
「貧困をなくそう」
 「すべての人に健康と福祉を」
  「安全な水とトイレを世界中に」
   「人や国の不平等をなくそう」
    「パートナーシップで目標を達成しよう」
という尊い理念の達成に向けて、一歩踏み出すことが可能になる、と私は思う。

 気候変動の影響により、今後ますます自然災害が多発、甚大化するのは確実である。 被災者となり、明日は誰もがホームレスになるリスクが大きい時代がやってくることを忘れてはならない。 もとよりホームレスを生まない社会構造への転換が求められている。

2013/9/22


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