抵抗の砦

 虎ノ門ヒルズを真正面に望む大通り「新虎通り " 東京シャンゼリゼ "」から1本入った路地にその建物はあった。 その建物に、私は勝手に「抵抗の砦」と名づけた。
 ストーリーはこうだ。

1960年代 〜 2014年頃

 その建物は木造モルタル2階建てで、昭和中期に建てられたと思われる小さな家屋であった。 土地は二本の横丁に面した角地にあり、以前から日本料理店を営業していた記憶がある。
 その料理店は私の通勤路に面していて、 そのせまい路地を毎朝通っていたのだが、料理店に入ったことは一度もない。 「新虎通り」が開通したのは2014年ころだったか。

 新虎通りが開通する前、 ここは新橋駅のはずれにある雑居ビルが建ち並ぶ幅40メートルの帯状「街区」だった。 その街区は「都市計画道路」といって、いずれ道路用地のために接収され、 街区内の地主は立ち退かざるをえなくなる。

 「新虎通り」が計画通りに工事が始まると、 40メートル巾にすっぽりと納まっていた「帯状街区」が消滅した。
 同時にかなりの軒数の住宅、共同住宅、店舗、飲食店、診療所、理髪店、 その他雑多な建築物から地主、住人、借家人らが立ち退いた。
 商店を閉めたところは、売り場と顧客と生業を同時に失った。

 このあたりの地域一帯は、昭和40年代から中小ビル建設に伴う狭小敷地の「地上げ」が相次いだ。
 私の高校同級生に近隣街区に住んでいたのが十数名いた。彼ら彼女らは、「地上げ」によって転居、転校を余儀なくされた。
 こうして、新虎通りで生活していた人たちは地域から姿を消した。

 私が名づけた「抵抗の砦」は、近い将来「都市再開発事業」に組み込まれる区域内にあり、 地上げされて消滅するのが必至であった。
 そんな中、2020年にコロナが襲った。
 飲食店入口のガラスに「しばらく休業」の紙が貼られ格子の裏に暖簾が見えていた。 休業は2021年の夏まで続いていた。 ところが、である。

2021年8月

 8月盆休みのあけたある朝、店の前を通りかかると建物の外壁が壊され、解体工事が始まっていた。
 いよいよ店じまいか。
 店主の苦境を思うと悲しくなった。

 8月27日の朝、店の前を通りかかると、解体されると思っていた店は、実は「大規模改修」を始めていることがわかった。
 「抵抗の砦」と名づけたのはこのときである。

 現場の様子を見ると、建物はモルタル外壁をすべて剥がして、木造の構造体である柱・梁・床組みだけを残したスケルトン状態だった。

 私はうれしくなった。残された古い柱の脇には真新しい間柱が添えてあり、古い柱の足元は腐朽していたのであろう、腐った部分だけを取り除き跡に新材が「接木」されていた。

 基礎のコンクリートはそのままに、これも腐朽した土台はすべてヒノキの新材取り替えられていた。 工事が進んでいる箇所では、下地に構造用合板や筋交いが取り付けられ、耐震補強も考慮されている様子だった。

 私はその鮮やかな職人の「技」を見ることができてうれしくなったのである。 そこには、地主、店主、あるいはほかの関係者かも知れない人々の「意地」「心意気」が感じられた。
「このままでは終わらない コロナに負けない」
「地上げの圧力にも屈しない ここで商売を続ける」
「負けてたまるか たいせつなお客さんがまっている」
という強い意志を感じた。

 その日から「抵抗の砦」は、私の注目するプロジェクトとなった。

10月27日

 プロジェクトが暗転する。
 順調に工事が進んでいると思っていたところ、外壁下地の合板に「解体工事のお知らせ」の貼紙がしてあった。
 驚いた。

 事態は急転する。
 翌日には解体工事の準備が始まり、足場がかけられ、シートがかぶせられ、 現場の様子は見えなくなった。
 貼紙には工期「2021年10月28日から11月10日まで」とあり、 そのとおりに解体工事が行われた。
 足場もシートも撤去され、更地となった砦の跡地を見てやりきれない思いだった。
 「店が再開したら一升瓶をもってお祝いに駆けつけよう」というささやかな夢が破れた。

 私は知っていた。
 この工事は建築基準法違反だった。
 なぜならば、防火地域内の商業地域において「木造3階建て飲食店」は許可ならないのである。

 解体前の現場を見たとき、最初は2階建てに見えたその建物は、実は「一部3階」だった。 突然の解体は、そのこと(建築基準法違反)が理由だったかどうかはわからない。
 ただ、そのことを知っていても私はこのプロジェクトを心の中で支援していた。

 もし、行政側が建築基準法違反で強制代執行により撤去を命じたとしても、 私は建て主に代わって「生存権・生活権」を盾に砦に立て籠もったであろう。
 一級建築士が違法工事を助長するようなことがあれば、 建築士法により懲戒処分を受ける。
 関連法規に精通しなければ業務を行ない得ないのは建築士も弁護士も同じである。
 弁護士でさえも弁護士法に違反すれば、懲戒処分を受ける。 おのおのが所属する士会から永久追放という最も重い処分を受ける可能性がある。

 私は、違法を承知で「設計・監理」業務を行えば当然、建築士法違反を問われる。
 違法を承知で、陰ながら違法行為を助長しても同様であろう。
 ただし、もしも私が砦の建築主から事前に相談を受けていたならば、建築基準法に違反しない範囲で「抵抗の砦」を完成させる方法について助言できたであろう、そのことが残念でならない。

 飲食店で火災が発生すると、所有者または管理者は失火責任を問われる。
 その飲食店が違法建築であって、火災による被害が想定を超えて拡大すると、 問われる責任はどんなに償っても償いきれないほど重いものになる。

 砦の解体撤去を決断した建築主が、そのことに気がついて耐火建築物として建て替えることを決断したならば、私はその判断を当然、支持する。

SDGs を考える 都市木造を考える

 現代は「都市木造」といって、木造であっても「耐火建築物」が建築可能である。 既存不適格建築物であっても、行政側と相談しながら「木造耐火建築物」として 再生する道も開かれている。 SDGsのめざすものは、

「古い建物であっても」
「壊すことなく、その良さを生かして」
「元の建物よりも、さらに良い建物につくりかえて」
「いつまでも住み続けられる、使い続けることができるなら」
「それはきっと持続的発展が可能な開発行為になる」
というものです。

抵抗の砦
西部開拓史にまなべ

 あとからやってきた開拓者が先住民を迫害した史実は「自由の国アメリカ」のトラウマである。
 わが国の首都東京における都市再開発は新興協議会が莫大な補償金を積んで先住民を立ち退かせて跡地にドル箱を建てて富を独占する構図である。 成熟した民主国家が執行する手法とはとうていいえない。
 新虎通りは虎ノ門ヒルズをめがけて一路西へ向かう。巨塔の背後に沈むは希望の夕日か落日か・・・。

 「都市再開発」をいうならば、この地を去った人たちが ふたたびこの地に戻って、いつまでも住み続けられる、 商売を続けられる、 にぎわいのあるまちづくりを 実践することがまことの再開発だと私は思う。

 それができるか、行政側の指導力が問われる時代である。 国も、東京都も、「東京シャンゼリゼ」などと世界から失笑をかうようなプロジェクトを推進し、 相変わらず猿真似の「箱モノ」行政である。 政治家もまた然り。

 「コンクリートから人へ」の輝かしい政権交代時代の都市政策スローガンはどこへいった?
 行政が変わらなければ 首都東京は SDGs 後進都市として世界のわらいものになるであろう。
 再開発事業の施行者たる者は、 「我田引水、自分ファースト」に固執するあまり、 世界に恥をさらすようなまちづくりを目指すべきではない、 と私は強く思う。

 北斎も、家康も、きっと「国際都市 江戸の町家」に帰ることを望むはずだ。

2021年 11月

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